🌸臼井歴史散歩🌸

臼井城址公園

 14世紀中頃、かつて下総地方を支配した千葉氏の支族である臼井氏が城を構えたところです。当時の城郭の位置からは印旛沼が一望でき、かつてこの地に城があり、主がここから城下を眺めたいたことが伺えます。現在は公園として印旛沼をゆっくり眺めながら、佐倉の自然と歴史に触れあう憩いの場として利用されています。



太田図書の墓

臼井城址公園の傍らにある石碑は、臼井城の合戦にて討死した、関東管領扇谷上杉氏の家臣太田道濯の弟、太田図書助資忠の墓と伝えられています。臼井城の合戦は、文明11年(1479年)におきた戦いです。上杉方の太田資忠らの軍が、足利方の千葉孝胤<ちば・のりたね>らが簸もる臼井城を包囲し、周辺の敵対する諸城を攻略しますが、臼井城の防備は堅固であり、なかなか落城できませんでした。

一度兵を引き上げようとした資忠らは、城内からの不意打ちを受けましたが、上杉方もこの際に反撃を加え、ついに臼井城を落城させました。しかし、この戦いにおいて、資忠をはじめとする多くの上杉方の武将が戦死しました。



❖雷電顕彰碑

江戸時代の名力士(江戸本場所籍36場所中、通算黒星10、勝率9割以上)雷電為右衛門の153年目の命日に因んで、妙覚寺の境内に昭和53年2月11日、雷電顕彰碑を建立しました。

碑は、高さ2m77cm、幅1m43cm、厚さ25cm、重さ4.5tの仙台石に「天下第一流力士雷電之碑」の文字を配しています。裏面には「雷電為右衛門は、ここ臼井の人を娶りたるえにしにより、この地を愛し此処に眠る没後153年の命日に因みてその偉容を等身大に刻みもって顕彰の碑となす」と由来が記されています。



謙信一夜城跡❖

永禄9年(1566年)3月、下総に進出した上杉謙信は北条方の千葉胤富・原胤貞の守る臼井城を包囲しました。上杉勢は激しく城を攻め立てて、王子台砦は攻略しましたが、上杉勢にも多数の死傷者が出て城はなかなか落ちませんでした。

この包囲中に足利義昭より謙信に上洛の要請があり、長陣を恐れた謙信は越後へ引き上げたそうです。今「謙信一夜城跡」と呼ばれているはこの時攻略された王子台砦のことです。